きつねの床

大学時代の友人の結婚式に参加してきて、まったく別のところで出会った人のことを思い出した話。

新郎新婦、お二人とも大変に幸せそうで。
特に新婦さん、初めて会ったけどとても幸せそうで。マイクに向かって語りかける度に、涙で声が濡れていて。

いかにその時、彼女が幸せだったのか。
傍目にもそれが伝わってきました。


なんだかんだ言っても、女性にとって結婚が大きなものであることは多い。
社会進出、地位向上、晩婚化&高齢出産etc。あれこれ言っても、多くの女性にとっての憧れ、夢の到達点である事実は、動かしようがないわけで。
新郎さんは自分と同い年で31、新婦さんは一歳年下でした。


そこで思い出したのは、一人の友人のこと。


約束していたはずだったのに、不意に暗礁に乗り上げた結婚。
なんとかよりを戻させたかったけど、結局何もできなかったか、あるいはマイナスになってたかもしれない自分の行動の数々。

遠くない先に見えてたはずの、約束されてたウェディングが、目前で潰えた辛さは、いったいどんなものだったのか……


胃が痛みます。
考えるだけで、わかりやすく胃が痛む。
今でも思い出す度、キリキリ音を立てて。最悪胃薬が必要になるw

それでも、自分の辛さより、本人がもっとどれだけ辛かったのか…
もっと、もっともっと深く考えてあげられなかったのか。そういう後悔は尾を引くものです。


恋愛の傷は、結局恋愛でしか癒えません。
少なくともけじめが必要になる。

一時、仕事で忘れられても。
一時、趣味で紛らわしても。

思い出す時に、反動が大きくなる。
ダメージを引きずる人ほど顕著です。


一刻も早く、新しい恋を見つけて、幸せになって欲しいんですが……

自分にできることは、もうないものか。
関わらない方がいいんじゃないか。


…と、自分も引きずる性分らしいです。

自分自身のことはともかくねー。
他人のことは…辛いな。

草の根のサッカーというものは、おそらくこのスポーツの中で最も誤解されている部分だろう。スポンサーもサッカー協会も、さらにはプロのクラブでさえも、草の根のサッカーをチャンスというよりむしろ義務だと捉えていることが多い。だが現実には、サッカーの強い国を育て上げるのに近道というものはなく、すべては草の根レベルからスタートしなければならない。

かつて少年育成の「ゴールデンエイジ」だとされていた9歳から10歳という年齢は、もはやトレーニングを始める時期として早いとは見なされず、4歳や5歳に取って代わられている。大きな障壁となっているのは、これほど幼い子供がボール扱いを学ぶことはできないと考えている人々が多いことだ。それは間違っている。ボール扱いはごく幼い年齢、2歳や3歳からでも始めることができるものだ。

子供をトレーニングする上で、私が今までに数多く目にしてきた一つの大きな誤りは、彼らがいつもボールを蹴るように促されることだ。世界のどこでもいいので、週末にどこかの公園に行ってみれば、大人用のボールを使って小さな子供と延々蹴り合っている親たちの姿を目にすることができる。未来の選手となるかもしれない子供たちにとって、これは(公園中を走り回ってボールを追いかけなければならないことも含めて)非常に疲れることであると同時に、この練習条件では、彼らはボールを持つと同時に無差別に蹴り返さなければならない。

そういった子供たちに教えられるべきことは、両足の裏を使ってボールを引き寄せることだ。それから、ボールの方向を変えたり、ボールを止めてまた動き出したりといった動きを学ぶこともできる。「僕のボールだ、渡さないぞ」という意識を植え付けるためのものだ。選手たちは小さな頃から、いかにボールを守るかを覚えなければならない。


子供たちが適切なボール扱いのスキルを身に付けられるようにする上では、親たちが大きな役割を果たすことができる。非常に優れた選手たちであれば、自分自身で練習への本質的なアプローチを採り入れることもできるようだ。3歳や4歳といった幼いうちからボール扱いを習得することは、点火スイッチを力強く「ON」に入れることにつながる。

実際に、世界の最高クラスの選手たちの過去を紐解いて見れば、その多くは誰にも教えられないうちから毎日数時間もの練習に励んでいたことが分かる。そういった意味で、サッカーはスケートボードなどのような競技にも似ている。どちらも技術をその本質とする行為であり、指導者を必要としないものだ。そしてスケートボードの場合と同じく、サッカー選手を目指す子供たちは、友人たちの前でその技術を見せるのに失敗しながらも、それでも格好良く見えることが多い。リオネル・メッシになりたいのであれトニー・ホークになりたいのであれ、若いアスリートが学ぶのに唯一の手段は失敗を経験することだ。その時は早い方がいいし、回数は多い方がいい。

若いサッカー選手たちにはとにかく反復が必要だ。まずはプレッシャーのかからない状況で技術を身に付け、それから少しのプレッシャー、あるいは強いプレッシャーがかかった局面へと移る。結局のところ、大きくて速い子供たちにボールを持たれる時間が長いような試合の中で、いつも足元に来たボールを蹴るばかりの小さな子供たちは、本当は何をしたいと望んでいるのだろうか? 非常に若いうちからボール扱いの能力を身に付けることは、自信を持ってプレーを楽しめるような能力の高い選手を育てるための鍵となる。

ここ日本においては、特に小さな子供たちのテクニック面の能力を伸ばすことに重点を置いたスクールが数多く存在している。だが、そういった子供たちの成長に親たちが手を貸せる部分もはるかに多い。自宅のリビングルームで、小さなボールを扱うところからスタートしてもいい。フルサイズのピッチも、他の選手たちも、経験豊富なコーチも必要ではない。ただ小さなボールと、子供たちに何をやらせれば良いのかという知識だけでいい。小さな足の裏でボールを引くことだけでも、ボール扱いを経験することに興奮する子供たちにとっては十分すぎるほどだ。ボールを蹴ろうとはさせない方がいい。これはコーチとしてではなく、2人の小さな子供の父親としての実体験に基づいたアドバイスだ。4歳と7歳の彼らはすでに、もう少し大きな子供たちにもできないようなテクニックを伸ばしてきている。何も最先端の科学などではない。単に昔からの経験則によるものだ。


↑某スポーツサイトからの引用ですが、これはすごいありんす(´・ω・`)
サッカーに限らず、何かを伸ばしたいと願った親御さんが無茶させるパターンという意味で。

白面はアプローチを重視します。

とある目的があった時に、何がベストか、具体的にどうすれば目的が叶うのか。
特にスポーツは、目的がはっきりしてればしてるほど決められる部分が大きい。

差し当たって自分の今の目標は……人間関係と試験かなぁ。

現時点でのベストを尽くしますが、それで駄目なら至らなさを悔いて学び直すのみ。
だから人生は失敗と勉強の繰り返し、と多くの古人は説くのでしょう。

リア窮』。

こちら、白面が個人的に生み出した造語です。

いわゆるリア充を、仮に
世間一般的に良い物、いいこととされている娯楽・交友で生活が潤うこと
と定義するなら、こちらは
世間一般的に良くない物、ありがたくない事情、価値が理解されないことで生活が困窮すること
というイメージですね。

自分はここ数年、12月はずっとリア窮です。
そして今年は特に/ ,' 3  `ヽーっ

引越し、仕事、冬コミの準備…ありとあらゆる面倒ごとが重なって、相乗効果で忙しさ倍増。
これまではコピー本だった分、年末まで力点をずらすことができていたのが、今回はオフセットorオンデマンドでいく予定なため、更に状態がひどいことに((((;゚Д゚))))

そんなわけでここ数年、恋人とラブラブクリスマスなんか夢のまた夢。
それどころか家族や友達とすら過ごせない、まさに佳境なクリスマス&年末ばかりを過ごしていますw

何故こんなことを言い出したのかと言うと、最近TLで
リア充爆発しろ!
系のツイートをよく見かけるようになったためです(^_^;)

元々この発想というか、思考は自分には理解し難いものなんですよね。
羨ましいのはわかるけど、何故そこで相手の不幸を願うことに繋がる……?
拗ねる必要ないじゃない。
自分もそうしたいなら、なおさら目指すべき好例があるってことはいいことなんじゃないの……?

という、素っ頓狂な反応しかできないもので(´・ω・`)

それでもまだリア充に嫉妬、爆発を願うぐらいなら、皆様リア窮を是非お試しください……と思った次第なのでした( ´ー`)y-~~
文句なしに、人のことを考えてる余裕なんて無くなります( ´∀`)bグッ!

さて……今年の師走は何がどうなって、いったいどういう気持ちで過ごすことになるのか……
愉しみに時を刻んでみることにしましょう。

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